第一日目へ 第3日目へ 第4日目へ 第5日目へ 第6日目へ 第二日目 大宮→熊谷 9/19 (金) 不足分9/20(土) 本日の歩行距離は36kmと昨日より6km長い、6:37大宮駅前の交差点を出発する。しばらく、静かな街並の間を歩く、7:16、R17を渡る頃はピークを迎えていたようだ、7:27“宮原駅入口”、7:57上尾市に入る。 大宮駅前交差点、今日も天気が良さそうだ、Go! “大栄橋”交差点から大栄橋方向 まだ静かな街並 JR,Tobu地下通路 R17、新幹線の下を通る もう、車のラッシュかな “宮原駅入口”通過 右手の森、加茂神社 R16、新大宮バイパスの下を抜ける 宮原小学校の大きいセンダン しばらく進むと、中山道の標柱、愛宕神社は近くにあったが、古い時代のものは見当たらなかった。街中に入り、8:25上尾駅前を通過、間もなく2つ目の中山道の標柱が出てきて、畑も現れ、桶川市に入る、9:15。 上尾市に入る 寛政年間の石仏 中山道、この辺から旧上尾宿かな 愛宕神社 上尾市内の街並 上尾陸橋付近 上尾駅前 中山道の標柱、この辺まで来ると急に閑散としてきた 耕作地も道路際から 桶川市に入るや、桶川宿の案内板あり、ポイントを頭に街中を進む。旅館の看板が目立つ古そうな建物、ここは旅籠だったとか。9:26桶川駅前を過ぎると、時代物の建物が点々と目に入る、店蔵もあったようだ。少し進むと、桶川宿本陣遺構へ、残念ながら入口付近を覗いただけだ、9:49北本市に入る。。 間もなく、桶川市に入る 桶川宿の案内板 旅籠 間もなく、桶川駅前 立派な造りが点在する 店蔵 「矢部家住宅」と説明してあった 桶川宿本陣遺構 街中のトイレ、素晴しい配慮 しばらく歩くと、空地のような場所に、北本宿の案内板がポツンと立つが、テクテクと歩き疲れ、浅間神社で休憩タイム、すると鳥居に腰を下ろしたご夫婦、旦那さんは京都から18日かけて歩いてきたそうだ、脱帽ですね、無事日本橋着を願って別れる、間もなく、11:16鴻巣市に入る。。 北本市に入って、 しばらく歩くと、“本宿” 中山道北本宿の案内板と碑 街並、北本駅付近 浅間神社で一休みしていると、鳥居で休憩している御人、旦那は京都から連日、18日歩き続けて来たそうです 中山道の小旗が揺れる古い建物が点在する街並、道路はスッキリと整備されていたが、本陣の跡地碑だけが歩道にポツン、宿の説明板も見たが、何か一つ、昔のものが欲しいところかな、“鴻巣駅入口”11:40通過。 鴻巣市に入る 中山道の小旗が迎えてくれた 古の建物が点々と 本陣の跡地を通り “鴻巣駅入口” 宿の真ん中辺かな、詳しい案内板 もう少し進むと鴻巣に由来する鴻神社 “加美”で左へ、熊谷宿まで三里四町、 桶川宿まで二里四町 11:59高崎線の踏切を渡り、静かな街中へ入ると、小さな神社がある、ここで小休止する。ここからしばらく歩いて“中宿橋”、武蔵水路を渡る、12:46。利根川寄りの水路は改修中のようだ。近年、水路の老朽化より、機能的に80%まで落ちているとか、大変な問題を抱えているんですね。前砂村跡の碑、一里塚跡を通り、踏切を渡って、13:40“吹上駅前”、“吹上本町”を通って左に入る。 踏み切りを渡る、高崎線 閑静な住宅地となる 小さな神社で休憩していると、傍らに・・・ 武蔵水路“中宿橋”を渡る、上流 下流 北鴻巣駅の南西方向にある道標 黄金色の田圃が現れる、その向こうに高崎線も見える 『ここは中山道前砂村』と刻んである 読み取りにくいが一里塚の跡か? 吹上駅に近づきました、 “前砂”を右に入る 踏切を渡って 鉄路に沿って進む “吹上駅前”に出て、 “吹上本町”を左へ 道なりに進むと右手に吹上本町郵便局がある、その先、高架下を抜け階段を上り、高架橋を渡って、階段をおり、鉄路と平行する小道を進んで住宅地に入る。道なりに進むと、小消防施設に出る。道標があり左に進むが、右手奥にはトイレがあり、榎戸堰公園がある。道標に沿ってカーブを切って進むと権八地蔵だある。地図と合せ、地蔵裏の土手に這い上がり(この時、道を歩かず、電柱のステーに書かれた中山道⇒を見落としている)、眺めると近くにあるはずの線路が見えない。障害物があって見えないのだろう、土手を左に20mほど進むと、地蔵の右の写真、これを下の道を歩け、と読んだのが3つ目のミステーク、結果として反対方向をさまよって荒川に架かる大芦橋を渡った五叉路で断念した。 道なりに少々進み、陸橋をくぐると 中山道の公園風な小スペースがある 階段を上って陸橋を渡る、下って線路に沿って歩く 線路から離れて住宅地を進むと 小さい消防施設の角に標柱あり、 右奥にトイレ&榎戸堰公園 道標に沿って進むと、間もなく権八地蔵 土手に上がり左へ、少々進むと看板あり、これを何と読むか? ということで、狂ったコンパスと暴走が生んだ本日の結果だった。家に戻るや、権八地蔵からの方向に問題ありとみた、以下は20日、不足部分(権八地蔵−熊谷)を歩き直した記録である。 複数矢印が書かれているところをみると、ここで迷った人が沢山いるに違いない。このポイントは、地図と現場の見方の不一致をおこしやすい一見単純でいて、錯覚しやすいのだ、9:38再出発。方向が判ってしまえば、あとは簡単、用水に沿って、高崎線を眺めながら。広々とした土手歩きを楽しめばよし、10:28陸橋下、10:46元荒川通りに出る。 権八地蔵、ここから左に進んだのが間違い 電柱のステーに薄く右向きの⇒がある、これを見落たのだ 右下の用水に沿って土手に上ったり下がったりしながら進む 用水、線路が確認できる この辺が直線で行田駅に一番近いかな カスリーン台風(S22/9)水害の碑 ヒガンバナと住宅団地の間に赤城山 この辺から土手と離れて右下へ 久下小の横を通り 陸橋の下を抜け、荒川の土手に接近する 塞ノ神の道標、右 熊谷、左 松山 ここにも権八地蔵 土手に上るとエンジングライダーの発着場、笠山遠望 道なりに進むと元荒川通りへ、緑が奥に? ムサシトミヨ、聞いたことも見たこともなかったなあ、貴重な小魚なんだ。昔は湧き水があったが、涸れてしまったらしい、今では地下水をくみ上げて放水しているとか。こんなきれいな川が住宅地の間を流れているなんて、羨ましい話だ。どうか、いつまでも環境を守って欲しい。カモがゆうゆうと泳いでいたが、ムサシトミヨを食べてしまうなんてこと、あるのだろうか。 覗いて見るときれいに透き通った水 『世界で熊谷市のみに生息するムサシトミヨがすんでいる川・・・』 湧き水? この先でくみ上げて流しているとか 閑静な住宅街を歩くと 八丁の一里塚跡 踏み切りを2つ越えて R17“銀座一丁目に出る” 少々進むと、2日目の目的地“筑波”、熊谷駅入口到着 11:21、熊谷駅入口“筑波”着、一日遅れの2日目の歩行が終わった。2日目の歩行時間は、前半が7時間34分、後半が1時間43分、合計9時間17分、非常にキツーイ2日目だった。 第一日目へ 第3日目へ 第4日目へ 第5日目へ 第6日目へ |