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お江戸日本橋から筑波山
 
山行日
    2004年12月10〜12日    曇り後晴れ、晴れ、曇り後雨

コース
    1日目  日本橋から柏市旭町交差点 
    2日目  柏市旭町交差点からつくば市洞峰公園北交差点 (クリックでジャンプします)
    3日目  つくば市洞峰公園北交差点から筑波山(男体山、女体山) (クリックでジャンプします)


1日目 日本橋から柏市柏駅付近 
     日本橋→浅草→言問橋(隅田川)→四ツ木橋(荒川)→なか川大橋(中川)→新葛飾橋(江戸川)
     →松戸市→柏市旭町

 日本の道路の起点である日本橋からどこかの山まで歩いてみたい、愚かな願望を実現すべく計画をねった。一日30kmとして3日で90km、こんな山を探すと、雲取山と筑波山が浮んだ。雲取山は、距離的には山頂まで100km弱、しかし、山頂から三峰神社方面への下山を考えると4日を要す。筑波山は、概ね90kmというところ、下山方法は色々あるので、後者に決めた。次にコースを考えた、どうせ歩くなら旧水戸街道を、と思い書物をあさったが、現在の道路に旧道を示す手段がなく、国道6号線(水戸街道)に沿って進み、牛久市の「ひたちのうしく」駅付近からつくば市へ入り、筑波山を目指すことにした。その間で適当に観光しながら、歩けたら自分流のこれも山行である。

 妻に送ってもらい、熊谷駅5:13の始発に乗込み、地下鉄日本橋三越前で下車して出発地点に立つ、6:30。上空は曇り、泣き出しそうな黒い雲、しかし、気分は爽快である。日本橋の北側はちょっとした公園風、公衆トイレあり、魚市場発祥の地なる石碑あり、北西の隅には道路元標の複製があった。昔は、東海道、奥州街道、中山道、甲州街道、日光街道の五街道の起点、今では、文字通り日本の道路の起点として役割を果たしているそうです(国土交通省のHPより) 橋は、明治44年(1911)に建て替えられたという、ルネッサンス様式の総御影石製、2連アーチ式橋の日本橋、欄干の青銅製の照明が赤々と照らし、出発の時を歓迎してくれているかのようであった。肝心の橋のど真ん中にある、昭和47年日本橋の道路改修の時埋め込まれた、本物の道路元標を、車の隙を狙って写真を撮り出発する、6:45。
  
 東京都中央区日本橋1丁目付近の日本橋、下を流れる日本橋川、上を流れる首都高都心環状線

  
   石畳の4車線道路、中央分離帯に日本の道路の起点、日本国道路元標がある

 夜間工事の残るビル街を500mほど歩き右折して江戸通りへ入る、国道の表示がR4となる。まだ夜の明けきらない中で、ごみの収集や、歩道の清掃をする道沿いの方々を見かける、挨拶をするが反応なし。間もなく昭和通りを横断してここからR6の表示となる。小伝馬町、馬喰町を通過して、浅草橋の交差点にさしかかる、7:08。左は、靖国通り、右はR14京葉道路を分け、神田川にかかる浅草橋を渡り幾分左にカーブする。小さな観光船、釣り舟が停泊している、水路はまだまだ生かされているようだ。浅草橋のガードを抜け、左側のビルの傍らに古風な建築を発見、江戸文化道場と書かれていた。何だろう、店? 左に碑(看板?)が見えたけど通過。
  
 三越前の通り                        この交差点を右折して江戸通りへ入る

  
 R4はここで左に分かれ、R6の表示となる         浅草橋交差点、R14を右に分ける

  
  水路として現存する神田川               左手に江戸文化道場 何だろう、店?

 道は北方向に進んでいるようだ、土曜日であるが通勤だろうか、自転車がやたら多い。蔵前1丁目交差点で右にカーブして若干東に向きを変える、7:20。間もなく、浅草松屋が正面に、右手隅田川に懸かる赤い吾妻橋の向こうに、巨大風船のような黄金の広告塔を見る。これも、何だろう、と思わせるのがポイントであろう。東武伊勢崎線のガードをくぐり、間もなく右折して言問橋を渡る。♪春のうららの隅田川・・♪、と歌われた隅田川、その季節には両岸の桜の間を観光船が行き交うのだろうか、運搬船が白波をたてて進んで行った、7:45。
  
 浅草松屋を正面に                     吾妻橋の向こうにビール会社の広告塔

  
 言問橋                ♪春のうららの隅田川♪の隅田川、運搬船が一艘白波をたてて

 言問橋を渡ると向島、すぐに左折する、歩道橋に柏まで22kmの表示、一帯は個人住宅、小工場が混在しているようだ。歩道も一変して狭くなり、脇道から飛び出してくる自転車に気を使う。自転車の往来に気をとられながら、東武伊勢崎線のガード下を通過、左右博物館となっていた。かつて日光の市内を走った路面電車、英国製だったかな古い汽車、日光線を走った特急けごん号、ちょこっと覗く。荒川に近づくと、右手南側は再開発中というところ、町並は高層化されていくのだろうな。荒川にかかる四つ木橋を渡って葛飾区へ入る、8:38。
  
 向島の歩道橋、柏まで22km              周辺の歩道、歩行者は自転車の飛び出しに注意!

  
 東武博物館、汽車、路面電車、特急車両等など     これが旧道だろうか、軒がひしめく小路

  
 四つ木橋                            荒川を渡って葛飾区へ

 本田広小路交差点を過ぎ、青戸車庫前で小休止、ここに丁度日本橋から10kmの角柱あり、9:00-9:08。青戸八丁目交差点で環七の下を通る、架橋の表示は青砥陸橋と書いてある。青戸と青砥、古い地名からすると青砥は難しいから青戸にしたとか、駅名として京成電鉄が青砥を採用、そのためか今でも両者が存在するとか、すっきりしない話、9:30。間もなく中川にかかる中川大橋を渡り、新宿(ニイジュク)に入る、旧道では日本橋を出て一つ目の宿が千住、ここ新宿は二つ目の宿となる。ちなみに、つくばまで歩くと小金、我孫子、取手、藤代、若柴、牛久の宿を通る。亀有警察署前を過ぎ、日本橋から13kmの標柱、すぐに柴又方面への道を分ける。R6は高架となって駅付近を過ぎると右にカーブして、間もなく江戸川にかかる新葛飾橋を渡り千葉県松戸市に入る、10:07。
  
 青戸車庫前で丁度日本橋から10kmの標柱      青砥陸橋、上は環七

  
                         中川にかかる中川大橋を渡る

  
 亀有警察署を過ぎると間もなく日本橋から13km   金町駅付近の高架、右へカーブ

  
              江戸川にかかる新葛飾橋を渡ると千葉県松戸市に入る

 様相は大きく変わる、まず緑が濃くなり、丘陵地帯に沿って林が連なる。畑と農家が点在し、ゆったりとしたのどかな気分になれる。10:16、日本橋まで15kmの表示、“日本橋から”から“日本橋まで”に変わった、ちょっと日本橋から離れた感じの標記となった、あるいは上下車線で違うのかな? 千葉大学園芸学部の間を小さいトンネルで抜け、左に向きを変え、北方向に進む。柏市に入り馬橋の歩道橋で、日本橋まで21km、柏まで8kmの表示あり、ここを過ぎて間もなく、大きな古い道標が目にとまった。文化3年(1806)に建てられたもので、左水戸街道、右印西道の碑文あり。続いて、一里塚の跡、だという松戸教育委員会の史跡表示、これはサツキの植え込みの中に単に立っているだけだった。流山市に入り前ケ先で、日本橋まで25km、本日のゴールに大分近づいた感じ。日本橋まで26km地点を通過し、間もなく柏市に入る、13:21。東武野田線の陸橋を下って、香取神社を右手に見て、旭町交差点で本日のゴールとする、13:58。
  
 松戸に入って間もなく日本橋まで15kmの表示    緑が濃くなり、畑と農家が点在する

  
 柏市に入り馬橋の歩道橋、日本橋まで21kmの表示  文化3年(1806)に建てられた道標

  
 一里塚跡                           流山市に入り前ケ先で日本橋まで25km

  
 柏市に入る                         香取神社

 本日の歩行距離は、日本橋から旭町交差点まで28.3km、所要時間は7時間13分であった。浅草までは簡単に抜けたが、それからが本日の行程のメインのようだった。都心から郊外に出るにつれて、建物が小さくなり、平坦地が小さい起伏の連続となる。日本橋川で始まり、神田川、隅田川、荒川、中川、江戸川を渡って千葉県に入った時、疲労だろうか、一歩一歩、歩いている実感を感じ、遠ざかる日本橋からの距離表示を楽しめた一日だった。明日はいよいよ、つくば市まで、途中龍ヶ崎市で金竜寺に立寄って38kmの行程となる、早寝としよう。

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