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平ケ岳
同行者の事故〜救出
山行日
    2004年10月18、19日   1日目晴れ  2日目曇り    3人

コース  詳細図はこちら
    鷹ノ巣登山口→下台倉山→台倉山→台倉清水→白沢清水→姫ノ池→玉子石→平ケ岳→姫ノ池→白沢清水→
    台倉清水→事故地点→ビバーグ地点→救出された地点→台倉山→下台倉山→鷹ノ巣登山口

 知人のMさん夫妻に誘われて、平ガ岳を22年ぶりに歩くことにした。夫妻は7月に登山口まで行って雨で中止している。改めて調べてみると、当時の山地図には往復10時間、熟達者向とある、最近のものでは往復11時間45分、玉子石経由を考えると約13時間となる。最近の情報では、当掲示板に“はばひろ”さんが記された、玉子石経由で単独行、10:00時間がある。いずれにしても、早立ちして日没前に戻る予定で計画した。

 ヘッドランプをつけて、鷹ノ巣登山口を5:00出発する。林道のチエーンを跨ぎ、少し歩くと下台倉沢を渡る、前方に点滅する赤い光を発見、ソーラー電池を使った登山道への案内である。ここから下台倉山1604mまで、標高差約750mを一気に上がる急登である。潅木の間のヤセオネを進む、ゴヨウマツの目立つ道だ。砂礫の道あり、トラロープの下がった岩場あり、明け行く燧ケ岳と周辺の紅葉を見ながら高度を上げていく、5:55前坂、7:04下台倉山着、小休止。
  
 前坂付近から見た燧ケ岳                潅木のヤセオネ、ゴヨウマツが点々と

  
 前方の尾根に朝日が                  振向けば登山口は遥か下方に

  
 トラロープも点々と                      紅葉真っ盛りの一本道、前方が下台倉山

  
 ナナカマド、ヤマハンノキの向こうに燧ケ岳     下台倉山山頂1604m

 西方向に進んできた急登の山道は、南方向に向きを変え、小さいアップダウンを繰り返し、クロベやゴヨウマツ、雑木を右手に、左手は大きな沢を介して燧ケ岳を見ながらの展望コースである。所々で真っ赤なナナカマドの紅葉が、目を楽しませてくれる。僅かに雪を頂いた平ケ岳の山頂部が顔を出すが、まだまだ遠い。平ケ岳に続いて越後三山の中ノ岳、駒ケ岳も遠望できる、やはりうっすらと雪が。一際大きいクロベの木を見るとほどなく台倉山山頂、1695.3mである。あまり広くはないが、三角点を真中に平坦なスペースがある、8:18着。
  
 平ケ岳の山頂が現れる                 紅葉に映える台倉尾根と燧ケ岳

  
  北西方向に中ノ岳、駒ケ岳             クロベ、ゴヨウマツの美しい針葉樹林帯と平ケ岳

  
 針葉樹に映えるナナカマド                燧ケ岳、台倉尾根から

  
 至仏山が現れる                      平ケ岳、台倉尾根から

  
 与作岳(左)と景鶴山(右)               中ノ岳(真中)

        
 平ケ岳はまだ遠い                           クロベの大木

  
 台倉山山頂1695m、三等三角点あり         オオシラビソの原生林の中をを行く

 ここから右手に小さい弧を描きながら、小さく下り、西方向へと向きを変える。青空に映えるダケカンバとオオシラビソを見上げながら歩く、眺望は林中できかない。泥濘が連続し、木道が所々に設置されている。鞍部に台倉清水の道標があり、平ケ岳4.9km、鷹ノ巣5.6kmと記されていた。距離的には中間点を越えたことになる。再び緩い登りに入り、直に下る、鞍部の木道脇に白沢清水がある、9:23着小休止。この辺のオオシラビソが最近の台風で倒れ、歩くのが大変だった、と“はばひろ”さんが書いていたが、すっかり切断されて整備されていた。
  
                  ダケカンバとオオシラビソが青空に映える

  
 台倉清水道標、平ケ岳4.9km、鷹ノ巣5.6km    平ガ岳を正面に見て、ダケカンバとシラビソの間の木道を抜ける

  
  チョロチョロと湧き出す白沢清水              ダケカンバの白い枝に真っ赤なナナカマド

 ここからネマガリダケとオオシラビソの間を抜け、ササに覆われた山頂部へ一直線に登る。視界が開け、形を変えた燧ケ岳が目に入る、双耳峰+ミノブチ岳となる。日光白根山との間の隔たりに、歩いて来た距離を感じさせる。北東の視界も開け、眼下に只見湖を遠望できた。「姫ノ池はどこだろう、あっちのピークかな、それともこっちのピークかな」、2つ、3つ眺望の楽しめる岩場を越える。岩場からは、半月状の平ケ岳の山頂部と深く落ち込んだ東斜面が手にとるように見える。ハクサンシャクナゲの間の雪を被った木道を抜けると、姫ノ池と湿原へ飛び出した、10:42着。
  
 笹原の斜面が正面に                   燧ケ岳は形を変え右手にミノブチ岳が

  
 燧ケ岳と後方の日光連山                 眼下に只見湖

  
 至仏山遠望                        平ケ岳も近くに

  
 姫ノ池はどっちだろう?                  平ケ岳山頂部はこれだろうな?

  
   至仏山、笠ケ岳、上州武尊山遠望         平ケ岳山頂部はあっちだ


姫ノ池東の岩の上から東〜南西方向、一番右が平ケ岳

 平ケ岳の山頂部を漣の立つ湖面に写し、無数の池塘が広がる。草は茶色と化しているが、夏の緑と花々を連想させる。また、池ノ岳の山頂部だけに、池塘の生い立ちが気になるところである。水、ミズゴケ、スゲ、泥炭層、と長い年月がキーのようである。1.0km西に位置する玉子石に向かう。ここから、シャーペット状の雪の木道を下ると、上越国境の山々が広がる。更に下って小高い所に取り付くと、雪だるまのような玉子石が顔を出す。花崗岩が風化されこのような形で残ったとか。奇妙な地球の歴史の一端である、11:17着。

 木道を折り返し、途中から別れて山頂へ向かう。途中、10人から20人の団体に、5回ほど会った、中にはメディアで良く見かける、I.M氏を先頭に歩いているツアーもあった。すべて、楽に入れる中ノ岐林道からの入山とか。姫ノ池からの道に合流し、小さいシラビソの樹林を抜け、木道を東から南に回りこむと、山頂と称される三角点の側に出た、12:06着、昼食。三角点の脇には2141mの表示がしてあるが、実際の2141mらしき所は、更に5分ほど西側で、これより立入禁止の標識のある所のようだ、12:35復路につく。
  
 姫ノ池と平ケ岳                       姫ノ池付近の池塘

  
 池塘と入道岳と越後三山の中ノ岳、駒ケ岳       玉子石と上越国境の山

  
   入道岳と越後三山の中ノ岳、駒ケ岳       池塘と上越国境の山、玉子石付近

  
  玉子石と姫ノ池の中間付近から燧ケ岳        平ケ岳三角点、2139.6m

  
 至仏山、笠ケ岳、上州武尊山遠望、三角点付近から  同じく、燧ケ岳

  
  同じく、日光連山                      最高点2141m付近から池塘と越後三山、中ノ岳、駒ケ岳

 姫ノ池13:02、もう一度見渡して下る。白沢清水14:04、小休止、台倉清水14:50通過し、あと2時間半もあれば下山できるだろう、と話していた。泥濘と木道を繰り返しながら進んだ。
  
  復路白水清水                       鮮やかな緑、ミズゴケ

  ここから3分ほどの地点で悲劇が起こった。同行のM氏の奥方が泥濘で右足を取られ、足首をネンザしてしまった。痛さをこらえているが、ただ事ではなさそうだ、「ボキボキ、と2回音がした」、という。直ちに、歩行不能とみて、ストックをばらしテーピングで固定し、エアゾールで患部を冷やした。20分ほどで落ち着き、荷物はまとめて私が背負い、M氏が奥方を背負った、兎に角先へ進むことを試みた。しかし、泥濘と木道の繰り返す道、その先の道々を考えると到底歩ける状態でない。

 「救援を求めよう」、M氏も「それしかない」、と。木道に腰をかけさせ、私が下ることも考えたが、M氏に「下って、只見湖寄りに清四郎小屋がある、ここから電話して119番で救援を求めてくれ」、と携帯電話と水とストックだけで下ってもらった。これは事態を訴え適切な判断と決断するには、M氏が良いと考えたからである。あとは、奥方を見守ることである、ということでM氏は下っていった。

 この時点では、どういう展開になるか想像もつかなかったが、このままの状態で夜を明かすことで奥方に覚悟を求め、患部に新聞紙を巻きつけ、ポリ袋をかぶせ草を集めて覆った。着られる物はすべて着込み、菓子類を夕食とし、雑談を続けた。真っ暗になり、風の音、夜星を見ながら、時間のたつのを待った。

 11:30頃、「オーイ、オーイ」、の声、こちらも声で返す、懐中電灯で照らし、M氏を50mほど歩いて迎える。車から着られる物、ムスビ、大きなシート、ホッカイロを調達して、戻ってきたのである。「レスキュー隊を編成してこちらに向かう、救出は明日だ」と言い、また私と自分の家に連絡したと付加えた。むすびを食べ、斜面でシートにくるまって寝ることとした。

 1時間ほど経過して、「オーイ、オーイ」、の声、こちらも声で返す。レスキュー隊の到着である、「救急救命士の・・・・・です、早速患部を・・・・」、食料とお湯、衣類等を供給してもらい。奥方は、ジュウニヒトエ?にしてもらって、暖かさを取り戻した様子。ここで、明日の予定を聞かされた、「明日7時に稜線までヘリコプターが救出に来る、それまでに奥方を背負って上がるから、支度しておくように」、と。こちらは、更に着たして、M氏とツエルトにくるまりシートをかぶって寝ることと。レスキュー隊はちょっと離れた稜線上でビバーグすると言っていた。

 長い夜が明け、6時近くに起床、腹ごしらえをして、準備にかかる。借用した衣類等直し、ギューギュー詰めで3つにパッキングをした。予定通りレスキュー隊が来られ、奥方を背負って稜線に向かう。M氏と私は、荷物を持って後に続く。稜線で待機している間に交信が交わされ、予定通り飛んでくることを聞かされる。

 7時頃、爆音とともに北の空から大きな機体が現れ、大きく稜線を旋回し斜め上空で停止、確認している様子。次の瞬間ドアーが開き、ホイストを伝ってヘイコプターから救助隊員が降下し稜線上へ接近、半径30m範囲ほどで落ち葉が空中に舞い上がる、そして降り立った。ヘリは一旦若干後退して、交信していた(エンジン音で聞こえないのでしょう)。奥方をバケット状の袋?に乗せ固定する。準備を確認してか、真上にヘリが接近、再び落ち葉が舞い、ロープが降ろされ吊り上げられた。プロペラの方向に奥方は回転する、吊り上げられるにつれて回転スピードを増す。ヘリでは、隊員が身を空中に乗り出し、ロープを操り、間もなく無事収容された。続いて奥方の荷物を持った隊員が吊り上げられ北の方向に飛んでいった。この間7,8分ほど。

 あとの予定を聞いて、4人のレスキュウー隊と共に下る、7:20。台倉尾根の紅葉も一段と進んだ感じ。前坂付近で小休止、紅葉の写真を撮っていると、「奥さんの吊り上げられるのを、撮ったか?」、と言われたが、あの我が身を危険にさらしながらの、救急活動を見ていると、とてもカメラは向けられない、不謹慎なこと、と思った。
  
                     下台倉尾根の紅葉も一段と進む

  
  サラサドウダンの紅葉                  カエデの紅葉

  
  カエデの紅葉                       山道もここまで、先を行くレスキュー隊

 9:45、2日に延びた山行はここで終わった。総所要時間は、アクシデントを除いて、12時間25分であった。平ケ岳の景観に感動し、アクシデントに見舞われ、レスキュー隊の救援により奥方が宙に舞った時、救われた感激はM氏にとっても、私にとってもこみ上げてくるものがあった。検査の結果は右足の骨折2ヶ所、足首ネンザと聞いた。お世話になった、清四郎小屋、レスキュー隊、消防、警察、病院の関係者の皆さんに感謝申し上げます、有難う御座いました。

追記:あの大災害をもたらした新潟県中越地震は、このあとわずか5日後の夕の出来事であった。もし、重なっていたら、救助に携わって頂いた諸機関は一緒だし、道路は寸断されてしまったし、これを考えると身震いがする。


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