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渡良瀬川満歩(続・続)+備前楯山

山行日
    2003年11月01日   晴れ  単独

コース
    原向駅→通洞駅→間藤駅→赤倉→親水公園→赤倉→舟石峠→備前楯山→舟石峠→かじか荘→原向駅

 6:18、ちょっと予定より遅れてスタート、国道も行き来する車が多い、今日から3連休ですね。今日の行程は、原向の標高575m、親水公園(砂防ダム)750m、赤倉685m、舟石峠1015m、備前楯山1272mで175m登って64m下り、587m登って697m下る、累計では762mのアップダウンとなる。銀山平分岐6:32,国道122号線と分かれて足尾市街地へ入る、6:37。朝の散歩をする人がちらほら、車の往来はない。真下のバス停の側で石碑を見つけ写真を撮っていると通洞方面から走ってきた車が停車、「皇海山に行く道はどこ?」、と尋ねられた。60才近い?女性である、「庚申荘から?、松木沢から?」、と聞き返したが首をひねって返答なし。状況から、銀山平経由の道を教えてやった。

 通洞大橋を過ぎて家並みが混んでくると、銅街道もいよいよ終着(起点は駅の隣役場付近と聞いている)である。近くに商工会の事務所があり、足字銭の由来が書かれていた。“足字銭は、寛保元年(1741年)不振に陥った銅山救済のため幕府が、足の字の入った寛永通宝2000万枚を鋳造させた・・・・”、とあった。何か似てません、“金融機関の構造改革という、金融再生プログラム?????”、これはまずかったかな。
  
 渡良瀬渓谷鉄道は右岸に渡り通洞へ              日光方面・足尾市街地交差点

  
 真下の石碑                              左岸砂畑への吊り橋

  
 通洞からR122へ出る橋                       通洞の家並み

  
 通洞駅                                  古い倉の鍵前

  
 足字銭の由来・・・・                        鹿沼方面への橋

 渡良瀬川の流れは蛇行を繰り返し淵をつくり、見事な景観を見せている。7:30、足尾駅入口を過ぎると右手に“鉱都 足尾迎賓館 古河 掛水倶楽部”、という看板が目に止まる。掛水倶楽部は、古河鉱業が足尾銅山の隆盛時に華族、政府高官などを招いて接待や宿舎に使用していた迎賓館で、大正初期に改築された建物は外観は洋風、内部は和洋それぞれを用いた木造建築で、館内には1924年(大正13年)製のピアノや、国産第1号のビリヤード台もあるそうです。現在でも使用しているとか、内部の一般公開もしているそうです。ちょっと立ち入って見ましたら、落ち着いた建物と庭の紅葉がとても印象的でした。

 すぐ側に渡良瀬橋という橋があり、渡良瀬川の発祥の地と書かれていました。更にこんなことが、“1200年の昔、日光を開山した勝道上人がこの地に分け入り対岸に渡ろうとしたが、谷が深く流れが急なので、困っていたところ、ようやくこの辺で浅瀬を見つけ無事渡ることできたので、対岸の地を「渡良瀬」とし、川の名を「渡良瀬川」と命名したと伝えられている”、と書かれ、更に“ここから150m上流の、松木川と神子内川が合流する地点から下流を、渡良瀬川と称してきたが、昭和40年に渡良瀬川の起点は、松木川の上流に変更された”、と書かれていた。ここで疑問を生じた、国土地理院の1/25000地形図では、松木川という表記が存在し、砂防ダム(親水公園)から下流が渡良瀬川と読める、河川の起点という難しい定義があるのだろうか。

 渡良瀬橋を渡り田元交差点へ7:48、間藤駅へ7:58、赤倉古河橋へ8:28、親水公園(足尾ダム)へ8:55着、渡良瀬川を辿る行程はここで終わった。足尾ダムといっても土砂ですっかり埋まり水を堰き止める機能はない、足尾砂防ダムという名称も用いていて地形図には名称の表記はない。何やらイベントがあるようで、ハッピを着た若い女性2,3人が駐車場付近を歩き回っていた。その脇では、5人組が登山の準備中であった、松木沢の情報を聞くと「渡渉しながら最後は本流でなく右の沢に入れば危険箇所はない、稜線附近でテント泊して、明日皇海山から銀山平へ下る」、と言っていた、9:17折り返す。
  
 渡良瀬川の流れ                           渡良瀬川の流れ

  
 掛水倶楽部                              渡良瀬橋

  
 渡良瀬渓谷鉄道間藤駅                       間藤附近の家並み

  
 間藤附近の家並み                          鉄路は錆びて、上の平

  
  日本初の水力発電所跡だとか                  赤倉の交差点、左が古河橋

  
 古河橋(歩行者専用、新しい橋は左にあり)            対岸の精錬所跡?

  
  親水公園                              左田元沢、中央松木川、右久蔵沢の合流点

 9:38、古河橋を渡る、現在は遊歩道となり中央にベンチが置かれているが、たいへん貴重な橋だとか。“1890年(明治23年)12月に完成した古河橋は、1887年(明治20年)に火災で消失した直利橋の跡に架けられたもの、日本でも最も古いものに数えられる道路用鉄橋、この橋はドイツ人の設計により、長さ50m、幅4.6mのトラス式鉄橋で、隣の新しい橋は平成5年に架けられたもの”、と足尾町は説明している。300mほど進むと、“銀山平5.6km、通洞駅4.0km”の道標があった、結構な登りになる。

 変電所跡を通過する、何やらうなり音が聞こえる、跡ではなく稼働中であった。一般は立入禁止となっているので立ち入らないと思うが、ちょっと雑然としていてね?? 10:13、鷹巣抗という案内板を見る、この辺の中腹に古河の直営抗があったと書かれていた、危険立ち入るな、とも書いてあった。暫らく歩いて峠も近づいた所で、道の右下にニ十ニ夜塔を発見、昔人がこの辺に住んでいたのだろうか、後で調べよう、10:45舟石峠着。
  
  変電所、稼動中であった                    この付近の山腹から古川直営坑がはじまったとか

 峠の駐車場から山道に入ると、銀山平2.3km、備前楯山1.4kmの道標があった。ここまで来ると足尾の山も樹木に被われ、渡良瀬川に沿った禿山とは対象的だ。しかし、登りだした付近一帯は、観光のためか、植林のためか、樹木が伐採され見通しのきく広々とした斜面となっていた。少し歩くと、右手は紅葉したカラマツ、緑の赤松の人工林、樹床のクマザサがきれいだ。そして紅葉の残る広葉樹林と変わった。黄色く透き通ったような紅葉をしたコシアブラ、真っ赤なカエデ、落ち葉を踏みしめてピッチは上がる。しばらくすると登山道は左手に90°曲がる、木々の間からまじかにせまった山頂を見る。間もなく、「山のけむりは ほのぼのと・・・・・♪♪♪。」、20人ほどの人達が合唱する備前楯山山頂に到着、11:22。山頂からの眺望は抜群、直下には足尾本山、真北に社山と半月山の間にコニーデ型の男体山、右手に薬師岳・地蔵岳と前日光の山、左手は黒桧岳からシゲト山、ずうっと南へ追っていくと皇海山の山頂部がちょっと、そして袈裟丸山へと山並みは続いていた。合唱は何時の間にか止んで、ボリュームいっぱいのメロディーとなった、昴、イヨマンテの夜・・・・・と、ピッタ音が何と耳障りなこと、11:45、同時に山頂に着いた夫婦に同乗をお断りして下山する。
  
 舟石峠付近から備前楯山                      登山道

  
    紅葉                                  紅葉

  
  カエデ                                 メグスリノキ・・・・

  
  カラマツ                            備前楯山山頂、皇海山の山頂部がちょっと

  
  男体山、左社山、右半月山、下は本山              前日光の山々

 下山路で10人ほどに会う、疲れた顔をした人もいた、舟石峠へ12:15に戻り、林道を歩く。所々に目を見張るような紅葉、写真を撮っていると、同乗をお断りした夫婦の乗った車が停車、「乗りませんか、温泉に入って、原向まで・・・・」、「歩くことが目的で・・・・」、疲れているように見えたのだろうか? 12:47、かじか荘着、いっぱいの駐車場を見て通過、13:16小滝の里。国道へ出る少し手前で、またしても先ほどの方、また同じことを、「済みません・・・・・」、13:59国道へ。行き来する車の多いこと、ここまで来ればゴールは目と鼻の先、14:10原向駅着。
  
 車道脇の紅葉                          車道脇の紅葉

  
 車道脇の紅葉                          車道脇の紅葉

  
 庚申川の流れ                         庚申川の流れ

  
 小滝                              国道122号線へ、ゴールはすぐそこ

 総所要時間は7時間52分であった。延べ3日間の渡良瀬川を遡り、備前楯山をめぐるウオーキング、色々な情景を見、人々の顔を見た。ほんの一瞬であったかも知れない、強烈に脳裏に焼きついたものもあった。山を下る清流、川を介して受ける人々の暮らし、川に沿って道を造り橋を掛ける、そして人々が物資が行き交い歴史が作られた。自然は人々に明日への活力を与え続ける、川は流れる、時代を越えていつまでも・・・・・・・。

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