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渡良瀬川満歩(続)

歩行日
    2003年10月31日   晴れ  単独

コース
    大間々駅→高津戸橋→(遊歩道)→高津戸ダム→桐原(国道122号)→東村花輪(銅街道)→
    東村神戸(銅街道)→草木湖→原向駅(足尾町切幹)

 先週10/24に渡良瀬川を土手に沿って足利・佐野境界R50渡良瀬川大橋〜大間々町高津戸橋まで歩いた。今週はその上流を一日目、大間々駅〜原向駅まで、二日目は原向駅〜足尾町親水公園(3つの沢の合流点)〜備前楯山〜原向駅、とおよそ60kmを2日間で歩く。

 前回は、何となく橋を取上げたが、今回は足尾町までを旧銅(あかがね)街道を部分的に歩き、自分なりの新しい発見をしたい、こんなことを考えて5:58渡良瀬渓谷鉄道大間々駅を出発した。ボランティアの人達が早朝から、駅前や街中を清掃中だった、お陰様である。前回のゴール高津戸橋6:05、左岸に設けられた遊歩道を歩く、なかなかの絶景が続く、紅葉の錦と奇岩を水面に映す、朱色の橋も全く違和感がない。吊橋あり、適度なアップダウンがあり、各所に休憩用ベンチあり、新緑、雪景色も綺麗だろうな。何度となくきているが、橋から上流を眺めて、「きれい!」、で遊歩道の存在すら知らなかった。6:20、はねたき橋の100mほど上流にある堰堤を歩き車道に、6:25国道122号の合流点に出る。

 ここで群馬県の歴史の道シリーズから、銅(あかがね)街道にちょっとふれると、“銅山街道は、足尾山中に産する銅を江戸に輸送するため設置された、足尾から利根川の河岸まで全長58kmに及ぶ街道。慶安元(1648年)に幕府直轄として銅山奉行がおかれ、採掘から精錬、浅草御蔵への納入管理まで一切をしきった。銅を輸送するための産業道路として足尾〜平塚(現上武大橋付近)が整備されることになり、銅の継ぎ送りをするため、沢入・花輪・大間々に宿場が置かれ、銅問屋が置かれた・・・・、のちの元禄年間に平塚から下流の前島河岸に移した・・・・”、とある。また、“明治4年(1871)民間に払い下げられ、大正元(1912年)足尾線が開通すると大きく変貌したが、現在、花輪、桐原などに銅蔵の名残を残す”、とある。
  
 高津戸渓谷                              高津戸ダム

 この国道の西側の桐原に銅街道の面影があるというが、直進する、上桐原(福岡大橋)6:38。道は渡良瀬川に沿って山際を渡良瀬渓谷鉄道と平行して進む。昔この辺は、七曲の景といって整備されて綺麗な景観が楽しめたが、今はヘンスにからみついたクズと茂みに遮られて唯一赤城山を流れの正面に見ただけで、車の危険から逃れるため必死に歩いた。7:10、旧銅街道の標識を見て脇道に入るが、石碑を見て神梅歩道橋の手前で再びR122へ。7:35深沢橋を通過して大間々町から黒保根村に入る、深沢は赤城の東斜面から落ちる渡良瀬川の支流である。間もなく、本宿(もとしゅく)駅入口に出る、昨秋赤城東西縦走はここを出発点として、利根川にかかる大正橋まで歩いた。

 平行している渡良瀬川の流れは、樹木に遮られて、時々見える程度である。向こう岸の紅葉はいくらか色付いて、時々透き通った黄色系統が目に入る。道の駅やまびこで小休止8:00〜8:07、怪訝そうな視線を感じる。ここを出ると間もなく、下田沢の交差点で、赤城山の北側を走る道路を分ける。北面の道路を進むと、利平茶屋、花見が原と赤城山への2つのルートの起点がある。道路がなかった昔は、水沼の駅から歩いたそうだ、利平茶屋まで道路が出来、ケーブルカーの時代になると、東武線大間々駅が赤城駅に改称され、赤城山の表玄関となった、その後モータリゼーションの時代となり、前橋方面からのドライブウエイの時代となりケーブルカーは廃止されたが、赤城駅の名称は残った、水沼駅前着8:25。
  
 福岡大橋                             上桐原信号付近から赤城山

  
 脇道で石碑をちらっと見る                      再びR122へ

  
 水沼周辺の橋(下流側)                    水沼周辺の橋(上流側)、川沿いに走る線路

  
 R122沿いの家                           R122沿いの家

 桐生大橋から渡良瀬川の河川敷は狭く利用されてなかったが、水沼駅周辺では、運動場として、駐車場として利用されていた。大間々の上桐原の交差点から、山間部に入り平地が極端に少なく、また渡良瀬川の流れも川幅を狭め、瀬を早めている関係であろう。8:54小黒川を渡り、勢多郡東村に入る。小黒川は赤城の最高峰黒桧山と小黒桧山の間に源を発する渡良瀬の支流である。ここを堺に右岸は、袈裟丸山連峰の水系に変わる。脇道に入って旧銅街道を歩く、荻原の踏切を渡ると、多少は起伏があるものの平地が開ける、川幅の広い河川敷は資材置場として利用されていたが、第三者から見たら河川だか民有地だかさっぱりわからなかった。

 間もなく花輪の中心部に入り、古い立派な軒が連なっていた、群馬県の歴史の道シリーズの現場検証みたいなものだ。造りの立派な家の多いこと、名所旧跡には名物の花崗岩で作った石柱がたっていた。線路をまたいだ善雄寺には、芭蕉の句碑、“このあたり目にみゆるもの皆涼し”、と芭蕉を偲び義白という人が建てたと書かれてあった。9:40花輪駅、R122花輪交差点、10:03。
  
 小黒川を渡って東村へ                      荻原の踏切(渡良瀬渓谷鉄道)を渡って旧宿へ

  
 旧宿の花輪の家並み                    旧宿の花輪の家並み

  
旧宿の花輪の家並み                    旧宿の花輪の家並み

  
旧宿の花輪の家並み                    旧宿の花輪の家並み

  
旧宿の花輪の家並み                    旧宿の花輪の家並み(八幡製鉄創始者今泉嘉一郎生家)

  
 花輪の家並み                            花輪の家並み

  
 風物詩、唐辛子の天日干                   風物詩、まきの乾燥

  
  花輪駅北、ちょうど列車が・・                   小中川鉄橋、ちょうど列車が・・

 国道へ出ると間もなく、小中川を渡る。小中川は袈裟丸連峰の東南側の水を集め渡良瀬川に注ぐ、ここから上流約7kmの所に、最大落差96メートルの小中大滝がある。階段式吊り橋があり、4月中旬〜下旬は「ヤシオツツジ」、10月中旬は紅葉が最高だ。また暫らく進んで、神戸(ごうど)の交差点から、旧銅街道の脇道に入る、10:56。静かな裏道といった感じ、出外れの民宿の傍らに石仏があり往時を偲ばせていた、国道へ11:07。
  
 旧銅街道、神戸地区                          石仏が民宿の傍らに

 ここまで来ると結構な登りとなる、ちなみに本日の行程は高津戸橋で標高150m、ゴールの原向駅が575mであるから、標高差425mとなっている。草木ダム堰堤着、11:27〜11:38、小休止。草木湖を右手に眺めながら、もうひとふんばり、この辺の渡良瀬渓谷鉄道の軌条は、草木ダムが出来るときにトンネル化されているの水面だけが目の保養、単調な山登りの林道歩きといったところ。閉鎖された石材店が点在する、放置された機械・残材が目立ち気になる。山の稜線の紅葉もこの辺まで来ると終わっているようだ、11:56富弘美術館前、12:47沢入駅入口、12:52大澤寺前で小休止。13:37県境トンネルに入る、抜けると栃木県である。13:57足尾トンネル、抜けて唐風呂川を渡り、間もなく原向駅への橋が視界に入る。唐風呂川を“かぶろがわ”と読んでいたが、欄干に“からふろがわ”と仮名で書いてあった、これが正規の読み方でしょう。
  
 草木湖、正面に見える山頂部は日光男体山           草木湖、中間にある橋

  
 袈裟丸山登山口寝釈迦コースはここからでーす。       県境のトンネル、群馬県側

  
 唐風呂地区の石碑                          渡良瀬川の淵

  
  渡良瀬川、手前が下流                       橋を渡るとゴールの原向駅

 14:23渡良瀬川を左岸に渡り本日の終着となった、14:26着。本日の総所要時間は、8時間28分であった。後半、草木ダムへ入ってからは、いささか惰性感あり。旧街道は地域の歴史を勉強して、次はゆっくりと歩きたい。



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