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渡良瀬川土手満歩

歩行日
    2003年10月24日   晴れ  単独

コース
    渡良瀬川土手(足利・佐野境界R50渡良瀬川大橋〜大間々町高津戸橋まで渡良瀬川土手伝い)
      [渡良瀬川大橋→川崎橋→福猿橋→福寿大橋→田中橋→中橋→渡良瀬橋→緑橋→鹿島橋→葉鹿橋→松原橋
      →昭和橋→錦桜橋→桐生大橋→赤岩橋→相川橋→高津戸橋]

 いつもの気ままな話ですが、渡良瀬川を約30km、土手に沿って歩くことにした。渡良瀬川の上流、足尾の田元沢、松木沢、久蔵沢の合流点から、下流は古河の利根川に合流する間で、地図で見ると概略、足尾の合流点から高津戸橋まで41.2km、高津戸橋から渡良瀬川大橋(R50)30.1km、渡良瀬川大橋から利根川の合流点まで29kmとなっている。今回は中流域である渡良瀬川大橋から高津戸橋までさかのぼる。土手づたいといっても5,6ヶ所問題なところもあるが、川に沿った道を歩くか、ヤブをこく。

 国道50号線足利市と佐野市の境界にかかる渡良瀬川大橋の右岸からスタートする。日の出前、小山方面に向かって車から降りようとしたが、高速道路並にスピードをあげて走る大型トラックに危険を感じ、Uターンして足利方面へ向かう車線で下車してすきを見て横断し、道路柵を越えて土手に降りた。赤く染まった東の方向に、紫峰筑波山と赤い渡良瀬川大橋の橋梁が車の騒音の中にあった。遠く富士山は白く、陽がさしているのか薄っすらと赤見を帯びていた5:50出発。

 土手の上は舗装されたサイクリングロードと車の通れるダートが平行している。足利市のゴミ処理施設の近くを通る頃、渡良瀬川大橋の丁度中央から朝日が昇った、河川敷は弱い朝日につつまれ、群生したセイタカアワダチソウの黄色い花と、白い枯れススキが浮かび上がって見えた。足利の東端にある大小山の山並みは、まだ全体としては深緑、でも近場で見たら結構色付いているだろうが?。
  
 R50渡良瀬川大橋の日の出、左は筑波山             左岸河川敷は牛の放牧、背景は大小山

  
 河川敷は草の原、遠くに赤城山                    逆光に映えるススキ、左手に筑波山

 風は4,5m、もうちょっと強いかな、ウインドヤッケを着て、手袋をして、帽子をかぶっているが、汗ばむ感じはしない。土手の上を15分ほど歩いただろうか、行く手には2番目の橋、川崎橋が視界に入った。川崎橋は、今年例幣使道を歩いた時休憩した場所だ、簗田町の手前に白く一直線に渡良瀬川を横断している。支える橋脚が数ヶ所茶色く見える草むらから立ち上がっている。中央には流れが沼のように見える、蛇行しているのだろう、河川敷には車の通れる道が橋の方に向かって伸びている、6:33川崎橋着。車の姿はなかった、点在するビニールハウスが朝日を浴び白く輝き、南には秩父連峰の上に富士山が右に両神山、八ヶ岳の一部が見えた。土手の左下には平行して道路があり、道路標識には次の福猿橋まで2kmとあった。
  
 川崎橋、道は例幣使道                        川崎橋

  
 川崎橋、河川敷はゴルフ場                     南に見える富士山は白い

  川崎橋を過ぎると河川敷はゴルフ場として利用されている。下を通る車もまばら、風に向かって前屈みで歩いていると、赤城山に向かって歩いている錯覚を時々覚える。5,6分歩くと、対岸に大きな魚を書いた水門が見えてきた、袋川が渡良瀬川に合流する所だ、福猿橋も見えた。ここでこのウオーキングに右岸を選んだことに触れよう、簡単に言えば流入する河川が右岸では少ないことである、大きな支流が合流していると橋まで支流を歩き対岸を戻って本流の土手に出なければならないことだ、福猿橋着6:52。通勤の車だろうか、大分増えてきたようだ。利根川合流点まで31.2km、海まで163.2kmの標識あり。
  
 福猿橋、正面赤城山山頂には雲が                福猿橋、利根川31.2km、海まで163.2km

 時間とともに山を被う雲がとれてきて、男体山かな、と思っていた山は袈裟丸山であった。男体山、大真名子山が視界に入り、ちょっと進んだら女峰山が見えてきた。袈裟丸、男体山、女峰山とも薄っすら白い感じがする、もしかしたら雪が降ったのだろうか。河川敷のゴルフ場はしばらく続く、7:07利根川まで32km、海まで164kmの地点を通過。南側には工場が立ち並ぶ、化学薬品工場だろうか、臭う。工場の北側を見ているせいか、実にきたない。不要になった設備、ドラム缶が無造作に置いてある。南から見たらこの工場は綺麗なのだろうか、気にかかる。河川敷は左側に気をとられているうちに草地となっていた。流れが土手にせまり福寿大橋の全容が見えてきた、橋の中央から川に道が伸びている、中州の岩井町へ通ずる道だろうか、7:17福寿大橋着。
  
 福寿大橋、下流側から                       福寿大橋、上流側から

 ここは渡良瀬川が大きく蛇行している所だ。かって昭和22年のカスリーン台風による洪水で大災害を受け、これを契機に、渡良瀬川の河川改修が行なわれ、洪水を安全に流下させるために、岩井分水路が設けられ昭和42年に完成したそうである、つまり増水時のニゲ場を作ったのである。中州には森(山)があり、大きな建物もある、万一の場合に備えているのでしょう。強い風が相変わらず吹いている、陽だまりの川面には鴨が沢山集まって、ふわふわと羽を休めている。道は、ダートとなり南に回りこんで再び車道と併用となる。次の田中橋が流れの方向に見えてきた。河川敷は河原から、野菜畑、自動車教習所の練習所に変わる、左手には東武伊勢崎線が50、60mの所に接近する。
  
  中州の森、足利市岩井町                      大きく南に蛇行している、後ろは田中橋

 河川敷が、運動場となり、整地された公園となる所で、間もなく田中橋に出る、7:46。利根川まで34.7km、海まで166.7kmの標示あり。渋滞する車の間を西側に進む、有刺鉄線が張り巡らされ土手は下にあるが降りられる状態でない。見渡すと歩行者用の階段が東側にある、東側に戻り、道路下を通って、土手に上がる。土手は車と併用で、河川敷は全面舗装の駐車場として利用している。川の流れは比較的緩やかに見える。
  
 田中橋、下流側から                                 田中橋、上流側から

 河川敷は駐車場から公園となる、対岸の河川敷にはコスモスが満開に咲いていた、利根川まで35.3km、海まで167.3kmの標示の所でアーチ型の中橋に出る、7:56。田中橋と中橋の間はたった600mの距離である。足利市駅と中心街を結ぶ橋であり、昭和11年完成のようである。
  
 中橋、東側から                            中橋、西側から

 次の渡良瀬橋との間400mは公園として整備され、川辺の散歩に絶好なポイントである、中心にある大きなヒマラヤ杉2本の存在に目をひかれる。渡良瀬橋はトラス型で中橋より2年ほど完成が早いらしい。対岸の山の中腹には足利の観光スポット織姫神社がある、渡良瀬橋着8:03。利根川から35.7km、海から167.7kmの標示ある。ここの西側は小さい山で女浅間神社がある、北側は崖となっている。ここも柵を乗越えて河川敷のサイクリングロードを少し歩き、西側の土手に上がった。
  
 渡良瀬橋、下流側から                        渡良瀬橋、後ろは織姫山

 渡良瀬橋と次の緑橋のちょっと先まで川の向きが西南西に向いている。水辺は右岸近くを流れ、赤城山は橋の左岸すれすれまで後退して見える。河川敷はサイクリングロードが一本土手と平行して走っている、緑橋着8:18。緑橋は、足利市の中心部の一番西に位置する橋で平成4年完成と聞いている。緑町と山辺町を結ぶ、総緑色の橋であり、実用本位の田中橋と対照的である。右岸のサイクリングロードと平行した流れは、橋の直ぐ上で右に曲がり北よりに向きを変え河川敷は草の原となる。上空にどこから飛んできたのか川鵜の群れ、赤城山の雲はすっかり取れ、黒桧山の山頂部は白く、霧氷か雪が降ったようである。
  
 緑橋、下流側から                           緑橋、上流側から

  
 川鵜の群れ                               河川敷は花畑、後ろは赤城山

 河川敷の整備された公園の西側まで行くと、対岸の足利競馬場の北に、ズッシリとした大岩山の姿があった。空の青さに山並みが青っぽい濃淡に染まっていた。車道は土手から下り左にそれ、土手は舗装された管理用の道となった。土手下には人家がせまり、人々の生活がまるごと見えるような光景だった。とりまく景色から群馬県に入ったような気がするが、それらしき標示物は見当たらなかった。離れていた流れがまた近づきすぐに離れて河川敷は草むらとなり、ニセアカシアの林となった。間もなく北関東自動車道の橋脚が視界に入った、真っ白いコンクリートの造形の出現に違和感を感じる。チエンソーの音が近づき、大きくなって聞こえる。重機のエンジン音も聞こえる、群馬県側の工事の準備のようだ。マーキングに沿って木が伐採され、整備が進行中のようである、道路建設予定地の中心部通過、8:53。栃木県側も川の向こうで橋脚の一部だろうか、枠組が行われていた。
  
 河川敷は公園、後ろは大岩山                   北関東自動車道の橋脚、栃木県⇔群馬県

 ニセアカシアの河川敷が開け、植木屋さんの養生地になった。河川敷を借り受け(?)一時的に植え込んでおくのでしょう、こんな使われ方ははじめて見た。隣接して○○○専用グラウンドと書かれたエリアがあり、アカシアの林を分断するように鹿島橋が南北に川を横切っていた、9:01着。鹿島橋は国道122号線が50号線と直角に交わる交差点から真っ直ぐ伸び、足利市の鹿島地区を結んでいる。距離的にはこの辺がウオーキングの中間地点となるので風をよけて小休止、2度目の食事をとった。こまかいチョコレートを一掴みポケットに入れてスタート、足元に国土交通省“光”と型どった鋳物の蓋に気づいた。良く見ると前後に工事跡がまっすぐ続いていた、以前に建設省が光ケーブル云々という話を聞いたことがある、河川をそうした目的で利用しているのだろうか。
  
 鹿島橋、下流側から                          鹿島橋

 正面に見える赤城山へ大分近づいたような気がする、何時の間にか河川敷はゴルフ場となった。この夏花火大会の行なわれた場所だ、その時張り巡らしたケーブルを止めたものだろうか、粘着テープがあちらこちらに残っている、はずし忘れたのでしょう。ゴルフ場には人影がない、河川敷の人工物が霊園の石碑のごとく映る、ご免なさい。この辺の川の流れは栃木県側に寄っているので河川敷は広く、ゴルフ場や多目的なグラウンドとして利用されている。葉鹿橋に近づき、背景の山々も心成しくっきり見えるようになった、9:40葉鹿橋着。葉鹿橋は本年旧橋に隣接した川下に新しい橋が完成し、現在歩道&自転車用、旧、新、3本が平行している(旧橋は通行止め)。旧橋は狭く、大型車がやっとすれ違える巾しかなかったが、周辺道路も整備され要として機能することでしょう。
  
 葉鹿橋、下流側から                          葉鹿橋、東側の新しい橋

  
 真中は古い橋がまだ残る、右新しい橋              左は歩行者と自転車用

 ここから土手はダートとなり、河川敷のグラウンドも終わって草原となる、土手に“この先行止り”の標示があった、ツルウメモドキを採取していた人がいたので状況を尋ねると、「私は川向こうなもんで、・・・・?」のアンサー。私は地元の人間であり、大体のことは想像つくのだがはっきりしたことはわからない。この辺は上流から桐生の下水処理場があって、太田の取水場が隣接し公園となっている、その隣りになるのか農業用水の取水口があった、ということだけだ。ここが面白い今回のウオーキングである、9:58土手の行止りで用水の跡(今も使っている?)らしい水のない川に沿ってヤブに入る。間もなく国道50号線に接近し公園に近づいたことに気づく、川を横切って公園を北西の方向に抜けると桐生寄りの土手が見え、はいあがる10:08。下流方向を眺めると、土手の先端はこちらも行き止まりとなっているようだった。結局途中の用水路に水がなければ、最短距離でヤブを抜けこちらの土手に上がった方が近かったようだ。

 土手を歩き始めると間もなく、桐生の下水放水路のそばに、河川管理区域境界という看板が立っていて、渡良瀬工事事務所の桐生出張所と足利出張所の境界のようで、このように管理領域を決めているということを知った。
  
 流れには石が多くなる、送電線がまたぐ              土手下には庚申塔があった

  
 用水路跡or使用中(?)                      河川管理区域境界

 しばらく、国道50号線と平行して土手を進むと、左手はには工場、ドライブイン、福祉施設、日帰り温泉が並ぶ、右手の河川敷は草木の茂みから多目的広場へと変わり、流れはその向こうで蛇行し、河原の石が大分大きくなったように感じる、10:32松原橋着。松原橋は昭和62年に開通、広沢町と堺野町を結ぶ桐生市の一番南に位置する渡良瀬川にかかる橋である。
  
 松原橋、下流側から                         松原橋、上流側から

 橋の上流は、駐車場、運動場が河川敷に並び、土手下は病院、工場が並ぶ、間もなく流れ全体にかかる堰にさしかかる、太田頭首工である、10:34。頭首工(とうしゅこう)とは、河川などから用水路へ必要な灌漑水を取り入れるための施設で河川を横切る取水堰と取入口です。看板を読むと、“関東農政局 待矢場、三栗谷用水 太田頭首工”とあった、別なところには、“水利権・・・・”もあった。ここで流域の人達に水を分けているんですね、現場を見ると実感がわきますね。水面では鴨がスイスイと楽しそうに(?)泳ぎまわっていた。
  
 太田頭首工                              水面に鴨の群れ

 ここを出るとすぐに土手は行止り、分厚いコンクリート壁に沿って進む、また河川管理境界の表示があって、今度は渡良瀬川と広沢川との管理区域が明記されていた。どうやら支流の広沢川にそれたようである、人家の間を抜けると川(広沢)があり、草むらを進んだ。ここをねぐらにしていたのか、狸が飛び出し逃げていった。小さい橋を渡り、工場の脇から土手に出た。チクチクするな、と足を見ると、ズボンにコセンダングサの実が見事に刺さっていた、土手に腰をおろし一本一本取った、10分ほどかかったようだった。
  
河川管理区域境界、支流広沢川           コセンダングサの実、チクチクしてたまらない・・・・

 土手の下には工場、住宅地が続き、河川敷のターゲット・バードゴルフを過ぎると昭和橋に出た、11:20。昭和橋は、昭和16年、太平洋戦争勃発の年に開通したコンクリート製の橋である。ここから流れが右岸寄りとなる、川の石はまた一回り大きくなったような感じがする。土手には早いのか遅いのか、スミレ、タンポポが点々と咲いていた。
  
 昭和橋、下流側から                          昭和橋、上流側から

  
 スミレ                                   タンポポ

 進む正面には黒桧山から鍋割山まで、背の順に並んだ赤城山の姿が、裾野を広げていた。桐生の中心部に近づき、錦桜橋を遠方に見る。トラス構造の橋がないので一瞬目を疑った、そうだ新しい橋が開通し撤去する新聞記事を思い出した。旧橋は大正14年開通だったとか、美的価値はあったが、桐生の中心部を結んでいること、と狭いこと、仕方ないですね、11:46錦桜橋着。利根川より49.2km、海から181.2kmの標示が50mほど手前にあった。まだ未完成で中心部2車線分があいている、完成したらやはり織物の町桐生の玄関ですから、色気のる欄干や照明にして欲しいなあ。
  
 錦桜橋、下流側から                         真中の工事はこれから

 橋の直ぐ上の河川敷では、ご老人の運動会のようだ、大勢の人たちが競い合っている姿、いいですね、頑張って欲しい。川の流れは、川幅が狭くなり、早さを増し、河原の石ころも一段と大きくなった。所々でしぶきをあげ下っている。左岸には山が迫り、両岸には建物が密集している、街中を流れる川である。丁度12:00、桐生大橋を渡り、道路上に出る。川底までの距離があり、人家の裏がすぐ川になっているのである。渡良瀬渓谷鉄道と両毛線の併用鉄橋を撮り、道路沿いに流れる清流を発見、ウグイの群れが上流を向いて泳いでいた、ウグイを見ながら昼食をとる。

 ついでに上毛電鉄の鉄橋を一枚撮って、踏切を渡って富士山下という駅前から赤岩橋へ向かった。私の持合せの地図では、富士山を挟んで前後に橋があるのだが、道は封鎖され更に進むと“赤岩橋跡”の石碑があって行止り、正面には新しい橋が右半分が見えた。
  
 桐生大橋、下流側から                       桐生大橋

  
 両毛線鉄橋                              上毛電鉄鉄橋

  
 ウグイの群れ                               赤岩橋跡

 北側に回りこんで赤岩橋を眺める、小さいけれど雰囲気的には景観とマッチしてベリーグッドというところ、12:36。橋から下を覗くと、大きな淵となっており、川の中には赤い巨岩が点々としていた。ハハー、これから赤岩橋のいわれか、一人で納得する。左岸は山で、傾斜を利用して人家が密集している様は、どこかの山坂のある町を連想させる。さて、ここからどう歩くのだろうか、ズウッーと上流を見渡す、木が生い茂り全くわからない。仕方なく国道122号を歩くつもりで、少し戻ると、小さい流れがあって、川沿いに小道を発見して入り込むと市民広場に出た。昼休みの時間帯だろう、作業服を着た人達が数人昼寝をしていた、いい気分だろうな、私も一休みしたいが・・・・・・。
  
 赤岩橋、旧橋跡から                         赤岩橋

   
 赤岩橋付近の流れ、大きな赤い岩が真中に             同じく上流方向、石はだんだん大きく

 広場の西側はブッシュとなり、そこを抜けると田圃が広がっていた。広がったといっても7,8反というところだが、広々とした田園風景に見えたから不思議だ。正面に赤城山、周囲は緑の林に囲まれていて、人家が数軒見え、のどかなほっとする光景であった。人家を北側に回りこむと渡良瀬川に沿った遊歩道に出た、市営渡良瀬団地、桐生西高を過ぎたところで相川橋に出た、13:03。利根川まで53.5km、海まで185.5kmの標示、この先の道は見通せないが次の橋がゴールであることにほっとする。
  
  土手はなく河川敷のブッシュを歩く                抜けると小さい田圃が広がる

  
 相川橋、下流側から                         相川橋、上流側から

 ここからも川沿いに整備された遊歩道があり、川面を覗きながらゆっくり歩いた。透き通った水に、ゴロゴロした大石小石を写す、昔遊んだ河原の光景がここにある。裸足になって、川の中を・・・・・・。川はS字を描き桐生清掃センター・・・・(?)の所に出て、この建物の南から右手に入り道は終わった。見通すと、一段高くなって所で工事が進んでいるようである、最悪道路へ出るとして、工事場へ入る。4、5人工事関係者がいた、そこで見たものは、流れの向こうに赤い橋、三角のハネ滝橋、そして赤城山であった。直線距離で1kmそこそこだろう。惑わず道のない茂みに踏み込んだ。

 川との距離は10〜15mだろう、薄暗いじめじめした樹林の中である、しばらく進むと崖っ淵にでてしまった。南方向に変えて、林の急斜面をよじ登ると1.5mほどのコンクリート壁の下に出た、壁に沿ってクズのつるをかき分け進むと携帯電話が鳴った。足場が悪く電話が取り出せない、呼び出し音は切れた、足場を安定させ電話する、「今茂みの中で奮闘中、上はドラムカンの山が見えるので工場らしい、距離的にはもう少しだが30分後に橋まできてくれ」、と妻に電話する。ほどなく足場元が上がってコンクリート壁を1mほどよじ登る。その上はコンクリートの斜面で危険である、そのまま50mほど歩くと鎖があり斜面が階段となっていた。階段を上がると、工場の敷地内であった、車の間を抜けて事務所に一言了解を得て道路へ出た。
  
 流れには石がごろごろしている                 ゴール高津戸橋がちらっと見えた、背景は赤城山

 出たところはなんと、ながめ公園の東側から20,30mの所、公園の塀伝いに歩き、右折して少し下ると、本日のゴール高津戸橋に出た、13:52。渡良瀬川大橋を5:50に出て、8時間02分たっていた。距離的には30kmと地図上でカウントしたが、所々で見た利根川からの距離の標示と差を感じる。基準の取り方の問題と思うが、・・・・。
  
 本日のゴール高津戸橋                       高津戸橋、左岸から

  
 高津戸峡                                遊歩道ハネ滝橋と赤城山

 風は一日中吹き、結局ヤッケも脱がず汗もかかず、ただもくもくと橋をめぐり、ゴールを目指した土手歩きの一日であった。最初から最後まで赤城山を正面に見ながら歩いたが、渡良瀬川の源流は皇海山であることを付記しておく。また赤城の黒桧山、小黒桧山を源流とする小黒川も渡良瀬川の支流として高津戸橋から上流約13km地点で合流していることも付け加えておく。
参考: リンク  国土交通省渡良瀬川河川事務所
          国土交通省利根川上流河川事務所



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