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ub3-63
筑波山

山行日 
    2002年12月5日   薄曇り  4人

コース
    つつじケ丘→男体山→女体山→つつじケ丘

 半年ぶりに帰国したインドネシア駐在のYさんと小生、2夫婦で快晴の予報のもと、つつじケ丘からの往復を目指す。国道50号線の下館をから県道14号線に入る、たれこめた霧はいっこうにとれず、でも西側の山麓を走る頃には、ぼんやりと紫峰筑波も顔を出した。6:50つつじケ丘駐車場を出発する、駐車場の標高は520mというところだろうか。霞ヶ浦方面の雲海を背後に見ながら、石段を登っていく、意外に急登を感じる、まもなく南方向に富士山が見える、山頂部は真っ白である。上空は雲が多く、くっきりした姿ではない。100mほど高度を上げると、アズマヤの建つ、つつじケ丘に着く。上着をぬいでザックに入れる、気温も15度は超しているだろう。Yさんは懐かしそうに、下界の景色に見入る、雲海に浮かぶ山裾野から松島海岸を連想してしまう。

 ここからちょっと歩くと樹林帯に入る、常緑広葉樹のアカガシ、落葉樹のブナが現れる。見事な枝振りに、なぜ?植生が保たれているのだろうか、いつも考えさせられる所である。筑波山神社からの道と茶屋で合流すると、大きな花崗岩の奇岩が連続して現れる、杉の大木に囲まれた弁慶の七戻りをくぐり、高天原の社を一回りする、鉄ハシゴを数段登って、張り出した石に支えられた石室のような奇岩、母の胎内くぐりを抜けると、間もなく平坦な場所に出る。筑波山から南北に幾重にも延びる尾根筋が、荒海を泳ぐ龍のように見える。茶屋付近で追い越していった若者2人は、あっという間に見えなくなった。

 出船入り船という岩を左手に、石門をくぐり、巨岩の斜面に沿って高度を上げていくと、大仏岩に出る。積み重なった大きな岩は大仏様に似ている。ここまで来ると、ロープウエイ山頂駅の東側であり、女体山の岩峰の直下である。東側から北側へ短い鎖を伝って登りつめると女体山拝殿の脇に出る。日光の男体山、大真名子・小真名子、女峰山が山頂部を白く染めて横たわっていた、日光の男体山はコニーデ型というよりは、丸みをおびて釜をかぶした底のようである。
  
   下界を一望する                              筑波山の北側尾根

 Yさんは、ここまで来ると、すっかり歩くペースをつかんで、「男体山へ先に行こう」、「ハーイ」と皆同調する。ブナ林を下ってミヤゲモノ屋の前を通り鞍部へ、客足の姿は全くない。男体山の登りにかかると、甲高い鹿の鳴き声が響く、そっとその方向へ忍び足で寄るが、すでにその姿はない。岩の階段にさしかかった所で、男性が1人下山してきた、どうやら我々の前に駐車していた車の主らしい。間もなく山頂の社に着く、全体に雲は多いが、富士山も多少はっきり見えるようになった。西には八ヶ岳が真っ白い峰を連ねて、浅間も白く、草津白根へと連なっていた。更に右に目をやると、赤城山、袈裟丸連峰が見え、あとは社で遮られていた。

 山頂を通り抜ける風は冷たく、その冷たさにYさんは「季節を感じるなあ、日本はいいなあ」と言っていた。この国に住んでいては、季節の移り変わりはあたりまえのことである。その変化に喜びを感じ、適当に緊張し、心身共に一年という生活のリズムを刻んでいる、このことはややもすると忘れがちだが、非常に大切なことなのである。

 社に参拝し、静かな鞍部を通って女体山へ、拝殿を背景に記念写真を撮る。女体山の360度パノラマは2000m級の絶景を感じさせる、平野に立つ900m弱の山でありながら、遮るものがなくすばらしい眺めである。若干雲が切れて、東京副都心のビル群が、顔を覗かせる。鹿島工業地帯の発電所の煙突から出る煙が垂れ込めた雲の上にたなびく、霞ヶ浦が輝き、わずかに輪郭を映している。
  
  男体山より富士山を見る                      男体山より女体山を見る

  
   男体山直下よりつつじケ丘方面                   ブナ林と石畳の道

  
  日本百名山筑波山877mの山頂脾                女体山より男体山、左に八ヶ岳、右に浅間山

 小休止をして、往路を引き返す。つつじケ丘駐車場着10:15。合計所要時間3時間25分、駐車場も1/5くらい埋まった感じ、那珂湊漁港で魚介類の買い出し、カンバンの回転寿司を食し、再び筑波山に戻り、西北山麓斜面でミカン狩りをしてR50を西に、良く遊んだ師走の一日であった。

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