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筑波山

山行日 
      2001/3/17−3/19  1日目晴れ後曇り、雨   2日目晴れ、風強し  3日目 晴れ       単独  

コース 
       群馬県太田市居住地→館林市松原交差点→板倉渡瀬遊水池(テント泊)
      →古河市→下妻市→小貝川(横根)河川敷(テント泊)
      →酒寄→薬王院→筑波山


 我家から筑波山まで100km弱であるが、友と10年くらい前、勤務先から歩こうという話で計画したが、お互いに都合がつかなくて中止となった。昨年の秋2001年度の山行計画を立てる段階で、夏山シーズンの前に、来年こそはやってみようと1行を加えた、実際にはトレーニングがあるから4行となった。そんなことがあって、準備万端で5:30出発をした。食料は道端の店で調達することにして、荷物を減らしたが、それでも16kgと大げさな身支度である。

 7:35邑楽町の石打交差点のそばにある菅原神社で小休止する、道路からは2、3m上にあるので車の排気ガスはかぶらない。桜のつぼみもだいぶふくらんでいるが、まだ咲くまでには2週間はかかりそう。ふと、昨秋急死した職場の同僚を思い浮かべた、この神社から直線距離で500mくらいの位置に家がある、この山行が終わったら線香でも、と思い足を進めた。10:30館林の松原交差点、ここまで出発地点から20kmなので平均4km/hで足は順調であるが、空は曇りの雰囲気が濃くなってきた。

 東北道の下を11:30くぐり、こぎれいな食堂があったので昼食をとった、充分休んで歩き出したら、足が痛くて進まない、100mほどゆっくり歩いて調子を整える。板倉役場12:40着、小保呂を過ぎるころから雨がポツポツとやってきた、傘をさしたが車のあおりで自由を失う。柳生駅入口に2:20着、テント場を探すが適当なところがない、駅まで行ったが有人駅なのであきらめて、近くにある神社まで戻った、そこは人家に接しているが、最悪ここで一夜をあかそうかと考え雨宿りを決めた。30分ほどたったろうか、やむ気配はないので、再び立ち上がり雨具を上下つけて、とぼとぼとと歩き始めた。するとビニールハウスがあるではないか、さっそく場所の提供を求めたが、旦那がいないので返事できない、という。ここもあきらめて、次のハウスでも聞くが、NOである。よくよく考えてみれば、身支度から、NOの答えも解るような気がする、それにこの辺は市街化が進んでいるのである。人に頼むのはあきらめて、渡良瀬遊水池を目指すことにして、コンビニで食料を調達して、河川敷の方向に田圃の畦を歩いた。予定より4kmほど歩いているし、足にマメでもできているのか、なかなか進まない、堤防を2段乗り越えて、ガードレールをまたぎ、土手を下って、河川敷にある公園のそばを通って、植え込みの下の芝生にテントを張った、16:40。

 雨は一晩中降り続いた、時々強い降りとなる、小降りになったところでテントを撤収して、6:38渡良瀬遊水池をあとにする。濡れたテントと着込んだ雨具で歩きにくいが、また土手を2段あがり、道路にでた。天気は急速に回復している、雨もほんの少しになったし、東の空が明るくなってきたのである。橋を渡って茨城県の古河市に入った7:06である、雨が完全に上がったので雨具をザックに入れる、ザックカバーもとる、気分的にだいぶ楽になった、距離はまだあるが、茨城県の範囲内だ。

 古河市の繁華街を横切って、道路脇が田圃となっているところに出た。1台の軽乗用車が止まっていたのでよけて前方にでたら、その車が前に出て止まり何やら話しかけてくる、「どこまで行くのですか、乗りませんか」という、「・・・で筑波まで行くのだ」と答えると、感心していた。車は再び停車していたようだった、しばらく歩きスパーマーケットの反対側の大きな門のある家の片隅で小休止していたら、先ほどの車がやってきて、暖かい缶コーヒーを差しだして飲むようにすすめる、そして話を少し聞かせてくれ、という。色々話す中で、自分の普段の生き方を、変えたい、何かを求めたい、があるように感じた、20分ほど話し込んでしまったところで、あまり休むとペースにのるまでが大変になるのでと言い残し歩き出した。そうしたら、今度は冷たい缶ジュースを買って、走って持ってきてくれた、「では、気を付けてね」と言われて別れた。

  
       邑楽町の菅原神社で1回目の小休止


 新幹線のガードを8:48くぐり抜け、4号バイパスを10:33、ペースがダウンしている、風が強くこれもきいている、一本道であるがなかなか次の信号までが長い、長く感じる。道端のホトケノザとオオイヌノフグリ、ナズナが春のやわらかい日差しを受けて咲いている、気晴らしに写真を撮って、小休止。
  
         ナズナ                              ホトケノザとオオイヌノフグリ


また、しばらく歩いて、民家の垣根に藪椿が真っ赤に咲いていた、これも写真にした、ここでも小休止、花はみんな味方だ、ガンバレと励ましてくれる。菅谷十字路で昼食、水ばかりであまり固形物に手が出ない、12:58〜13:08、足が・・・・。

        ヤブツバキ

 14:44鬼怒川を渡った、目標の筑波山がやっと顔を出した、うれしい。もう少し行った所に公園がある、2日目のテント場の予定だ。痛む足をかばいながらまた少し進んでは休む、この間隔が10分ともたなくなった。道路から公園を見通すが、どうもテントを張るようなところではない、力を絞ってその先の小貝川の河川敷を目指そう、下妻の駅近くのコンビニで食料を調達して、休み、また休みで、やっと小貝川に到着し、土手を越えて、風のあてない、しかも道路から見えない場所にテントを張る、17:00。
  
    鬼怒川の橋から見た筑波山                          土手のつくし

 足が異常に痛むので、靴下を取ってみたら、大マメ小マメがいっぱいできている。右足が特ににどい、足のそこに3cmぐらいなのが2つ、親指と第2指との間はマメで全体がつながっている、足の横は大きな血マメができている、第2指と第5指の爪もやられている、痛いわけだ。でも距離はあと20kmはない、ゆっくり休んで明日頑張ろう。
  
      足のそこ全体にマメができた                       表にもマメが、そして爪もやられている

 5:30出発、今日はすっかり晴れて静かな1日となりそうだ、天の味方か。霜で真っ白な土手を見渡すと土手伝いに歩いて、橋のたもとで道に出られそうである、何しろ足の負担にならないように、柔らかいところを拾いながら歩くことにする。小貝川を渡り、朝日に輝く田園風景を眺めながら進む。6:05県道132号に入った、ほぼ真東に筑波山がそびえている、確実に近づいているのを感じる、中上野の農協で最後の水を補給する、そして筑波山の雄姿を1枚撮った。
  
      中上野から見た筑波山


 下館からの県道14号に7:28出る、道路が朝のラッシュであろうか車の数が多い、酒寄から家に電話をする。「おはよう、今酒寄にいる、これから山に入るから、12:00には山頂に到着するだろうから、つつじケ丘の駐車場へ昼頃までに迎え頼む」、丁度8:00であった。酒寄バス停からの道は人家の間を緩やかにカーブしながら登り、最後に急登して薬王院にでる、登山道入口は200,300m南に進んだところである。ここからが山道である、過去に3度往復しているので、細かいところまでインプットされているので地図に悩むことはない。鳥の声を耳にしながら、じめっとした細い道を進み、小さな橋を渡り、赤松の斜面に入った、道が急に広くなった、整備されたのである、以前は中央がいぐられて歩きにくかったような気がするが、今回は適度な勾配で歩きやすい。林道に出るところで、ワイヤーロープが張られていた、往生してくぐり抜け林道に出た、3人工事関係者がいる、登山道がまだ工事中なのである。状況をたずねると「通行止めだよ、滑車で荷物をあげているので、首を取られちゃうよ」、9:28やむなくここで中止せざるを得なかった、調査不足は反省するところであるが残念である。それから、林道をとぼとぼと下った、途中電話を試みたが全く通じない、通じたとしても妻はもう出発してしまっているかも知れない。みかん園近くまで歩いたところで、後ろからトラックがやってきた、止めて事情を話すと快く聞いてくれた。お陰で、筑波山神社まで乗せてもらい、ケーブルで山頂駅に行き、ちょっと歩いて11:10女体山に立ち、一応目標を達成することができた。調査不足の減点5で95%の満足度というところで、今回の計画は終了した。


  登山道が閉鎖のためやむなくケーブルで山頂へ

  
   山頂から霞ヶ浦を見下ろす                          山頂の女体山神社



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