気ままな男の山歩きHOME  山行記録(日付順 )  山行記録(山域別)  走れ!“忠治”

sub3-86-1
高崎市倉賀野町−太田市東本町(1日目) 戻り

歩行日
    2003年5月23日(金)   曇り   単独

コ−ス 詳細図はこちら
    高崎市倉賀野町(中山道倉賀野宿、日光例幣使道起点)→玉村町(玉村宿)→
    玉村町(五料宿)→伊勢崎市柴町(柴宿)→境町(境宿)→新田町木崎(木崎宿)→
    太田市東本町(太田宿)→東本町交差点
    33.3km

 早朝の高崎市倉賀野の三叉路に立つ、いささか緊張気味である。ここが旧街道の例幣使道と中山道が分かれる所であり、今回のウオーキングの出発点である。閻魔堂の角にある常夜燈には右中山道、左日光道と彫られ、その右にある道標には、「従是 右江戸道 左日光道」と書かれていた。さー出発だ、4:49曇天の空のもと一歩を踏み出す。
  
 三叉路に立つ道路標識                        閻魔堂と常夜燈

 旧日光例幣使道は、倉賀野宿からほぼ真東に65km進み、北に向きを変え25km進み楡木宿で壬生通に合流するまでの約90kmである。これも予備調査する段階ではじめて知り、恥ずかし話ですが、起点終点が意外であった。京都・日光間で倉賀野・今市間以外は東海道・中山道・日光街道を併用したのかなと思い込んでいた。高崎線の踏み切りで上りのブルートレインを見送り、点々と立つ“例幣使街道”の標識に納得しながら、綿貫町で左折し、原子力研究所の西北の角で右折国道354号線に入る。旧道は綿貫町の交差点から原子力研究所の中を斜めに進み現在のR354に出ていたようである。

 5:38玉村町に入る、大型トラックが猛スピードで向かって来る。狭い路側帯スレスレに走る、はみ出した生垣に身を寄せてかわす、恐い道だ。市街地に入り、しっかりした構えの酒屋さんを発見、写真を撮る。歩き出すと隣が、玉村八幡宮であった、5:55着。大きな山門をくぐり、朱塗りの本殿へ、本殿は国指定の重要文化財である。お参りをして戻ろうとすると、向かいの寺から“ゴーーン”と時の鐘、丁度6時である。狭い生垣の間から、鐘撞堂へ、女性が次のタイミングをうかがっていた。一旦R354に戻り、6丁目バス停にある真新しい例幣使道の案内板を見る。通りから30mほど入ったところにある、木島家の本陣跡に例幣使参議有長の歌碑が残されていた。「玉むらのやどりにひらくたまくしげ ふたたびきそのかへさやすらに」、と書いてあるとか、6:20通りに戻って、東進する。
  
 玉村八幡宮の山門(本殿側から)                  木島本陣跡の歌碑

  
       玉村町の街並み                      玉村町の街並み

 道は町の出はずれで緩い弧を描き工業団地を抜けて旧道へ入る、用水に沿った狭い道となり一時の静けさを与えてくれる。7:18、五料橋の近くでR354に出る、通勤ラッシュである、通りを横断して関所跡へ。門跡の左右の礎石が残り、説明文を読んでいたら、近所の方が「玉村町教育委員会 五料の関所」パンフを持ってきてくれた、親切に感謝である。そのまま土手に上がって利根川にかかる五料橋を渡る、流れは力強く、往時の渡しの苦労が想像できる、7:41対岸の伊勢崎市柴町に入った。
  
    五料の関所跡(門の礎石を残す)                五料橋を渡って伊勢崎市へ

 柴宿では関根家に本陣がおかれ、その跡は、門前に大きな松の木があり一目でわかる構えである。歩道が整備され、小さい堀にはカニラ、タニシが沢山いた。道は、7:55、本陣跡を出るとクランク状に曲がる、点々と現れる石仏、庚申塔、道標に足を止める。子供のもり公園を過ぎて間もなく、旧道は道幅2mほどでゴボウ畑の中を通り、下蓮町交差点でR354に戻り、9:43堺町に入る。広瀬川にかかる武士橋を渡ってすぐに、また細い路地に、これを繰り返して街中に出ると、境宿の織間本陣跡が右手にある。スーパーの駐車場の一角で、面影らしきものは付近には見当たらない、10:23。
  
 柴宿本陣(関根家)                         麦畑の前にあった、前屈みの石仏

  
 織間本陣跡                               境町の街並み

 境町の町外れでR354と分かれ、パズルのような道歩きになる、住宅街で左折右折を繰り返し、群馬県の県道312号線に出て東武線の踏み切りを渡り、また左折右折して早川を渡る、10:57。間もなく尾島町に入って、上武国道(R17)をくぐり、左折する。旧道は斜めに田圃中に入り中江田に出るが、石田川をまたぐR354バイパスがあり、行止りとなっている。仕方なくバイパスの土手をはい上がり、ガードレールをまたいで橋を渡り、ルートをつないだ。草を掻き分け渡った所で、桑の実の恵、すきっ腹には美味しく感じた。中江田の交差点で再び312号線へ、少し進むと右手に辻地蔵を見る、この片隅に新しい旧日光例幣使道の碑、かってここから右に行くと利根川の渡しに出たとか。
  
    石田川の小石田橋で道がプッツン            辻地蔵尊脇に平成の道しるべ、新田町中江田

 木崎の街中を抜けると長命寺付近から、旧道は左手に人家の間を抜ける、出口の角には「日光例幣使道 上州木崎宿」の碑、新しいけど歩く者にとっては存在感あり。太田市に入り、すぐに右手に入り、今度は左手の田圃の中を行く。旧道を真っ直ぐ整備したところである、学校を過ぎたところで312号線に出て由良街中を抜け、13:03蛇川を渡って、太田宿へ入る。桜並木のある八瀬川にはコイが悠々と泳ぎ、橋のたもとにはある旧日光例幣使道の碑が行く人の足元をじっと見ていた。太田宿には本陣がおかれ休憩施設として機能していたようである。火災の後放置されていたが、市営団地建設に伴い、本陣跡を発掘調査を行い、地元の高山彦九郎記念館で関係資料を展示している。
  
  木崎宿ありき、平成の碑                            旧道は新道を行ったり来たり

  
  由良の街並み                             日光例幣使道太田宿ありき

 街中を抜け、東本町の交差点へ13:38、倉賀野を出て8時間49分、1日目の33.3kmのウオーキングが終った。神社・仏閣・石碑、本陣跡、玉村・境の街並みなど等に、古き時代の面影を見た1日目であった。目指す男体山は曇天下、顔を見ることができなかった。

戻り


 
気ままな男の山歩きHOME  山行記録(日付順 )  山行記録(山域別)  走れ!“忠治”