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三俣蓮華岳〜鷲羽岳〜黒岳〜黒部五郎岳

山行日 
      1999/8/17−8/20     1日目雨後晴れ、2日目晴れ、3日目晴れ、4日目曇り 
                              2名      4名     4名      4名

 コース 
      新穂高温泉→鏡平→双六小屋→丸山→三俣蓮華岳→三俣山荘(テント泊)
      →鷲羽岳→水晶小屋→黒岳→水晶小屋→岩苔乗越→黒部川源流→三俣山荘(テント泊)
      →(巻道経由)黒部五郎小屋(カール経由)→黒部五郎岳→(尾根経由)黒部五郎小屋(テント泊)
      →三俣蓮華岳→(下の巻道)双六小屋→鏡平→ワサビ平小屋

 1日目、歩き出したらポツポツと雨がやってきた、だんだんと降りが強くなる、バス停でしばらく様子を見るがやむ気配はなく、5:25雨具を着て再出発をする。今回の山歩きは私の日本百名山の仕上げにある、鷲羽岳98座目、黒岳99座目、黒部五郎岳100座目で完歩となる予定である。9:52鏡平小屋に到着、小屋の入口は雨宿りをする人でいっぱいだった、入れ代わり立ち代わりの混雑である、登山書によると池塘に写る槍ガ岳がこの上なく美しいとか、今はたれこめた雲でそれどころではない。ここを出て1時間ほどで稜線に出た、ここは弓折岳への分岐である、、相変わらず視界は悪く標識を確認するのがやっとである。お花畑をいくつか越え30,40分進んだ頃には雨が小降りとなり視界もだいぶよくなった。小さなガレ場で休んでいると、2人双六方面からやってきた、昨日から笠ガ岳経由で入っている仲間の情報をYさんが聞いた、仲間といっても同行のYさんの奥さんとその友達であり、何回か一緒に歩いている。「・・・こういう2人組を見かけなかったですか」、「双六小屋でハー、やってましたよ」、「それだ、追いつこう」ということで足早に双六小屋を目指した。天候は急速に回復し、小屋に着く頃には双六岳も中程まで見え登山道にいる人も確認できるほどだった。小屋のちょっと手前で双六岳方面に登りかけた二人を発見、声をかける、二人もわかったようだ。双六小屋着12:05、小屋の冷たい水を一口含ませ、急ぐ、双六岳への分岐点で会話のできる間隔までせまった。こちらは巻道で三俣蓮華岳へむかい稜線で待つということで話が通じ、その場で休んだ。 上着をとり歩き出す、稜線との中間地点の雪渓でのどを潤し、稜線で二人を待って三俣蓮華岳を踏んだ。霞みの中に東側の深い谷がうっすらと見え、鷲羽岳とワリモ岳も山頂部にガスがかかっている程度まで見えるようになった。急坂を下って、三俣山荘へ向かった、正面の鷲羽岳を覆っていた雲が、山荘に近づく頃には山頂まで顔を出し、堂々とした山容を向けていた。
  
      双六小屋への途中、トリカブト                三俣蓮華岳への分岐点、雨はすっかりあがった

  
     トウヤクリンドウ、三俣蓮華岳への分岐点にて             鷲羽岳、三俣山荘手前にて

 2日目、いい天気だ、三俣山荘前では槍ガ岳、硫黄尾根、北鎌尾根が日の出前の姿を覗かせていた。5:00に小屋を出て、ちょっと登り始めたところで、黒部五郎岳が真っ赤に染まった、日の出である、同時に北アルプスの中核部の山々は一斉に明るくなった、このわずかな時間は鳥肌が立つようであった。徐々に明るくなり、日の出と共に勢いよく明るさを増す、刻一刻と変化していく情景はアルプス交響曲の最初の4分間とぴったりと合う。
  
   三俣山荘と鷲羽岳の間で                            三俣山荘と鷲羽岳の間で

  
         三俣山荘と鷲羽岳の間で                  三俣山荘と鷲羽岳の間で


 鷲羽岳の名前について、書物によると、もともとは三俣蓮華岳に付いていた山名で、今の鷲羽岳はその昔は竜池ケ岳(現在の鷲羽池のこと)と言っていたそうである。ややこしい話ではあるが、情報量の少ない、関心度の小さい(?)、時代のことであるから、山名が変わったからといって問題ではなかったのだろう。現在でも同じ山なのに呼び名が複数あったり、読み方が異なっていたりすることは多数見られることである。鷲羽岳の山頂から見る限り、高さもあり、天下の黒部峡谷の源流とされる山は、鳥の王者に相応しいのですかね、もっとも鷲が羽を広げた姿となると別な話。
  
 鷲羽岳山頂より、                          鷲羽岳山頂より、
   左に常念岳、槍との中央部に富士山                左焼岳と乗鞍方面、その後が御嶽山、右笠ガ岳

  
 鷲羽岳山頂より、黒部五郎岳、左遠方に白山

 鷲羽岳から120mくらい下って80mほど登り返すと、三俣蓮華岳から三俣山荘へ向かうときに見えていた左手のピークに着く。これを下って鞍部で道は左右に分かれる、右手に少し登ると水晶小屋に着く、小屋の所で野口五郎岳への道を分ける。小屋の裏手からの東方を見ると、真砂岳と野口五郎岳のながめがいい、白い山肌を見せている、簡単に往復できそうな位置である。小休止して黒岳へ向かう、最後の登りにかかったところで、子供連れの方にあった「お父さん、真っ黒なのに何故水晶岳というの?」と親に質問した、父親は「この山には、水晶があるんだよ」と答えていた、子供は真剣に水晶を探す、「あった、あった、あた」と小さい石英をいくつか探し誇らしげに父親に見せていた。どこまでが本当か嘘かは知らないが、山でのこういう会話は微笑ましい。
  
  水晶小屋黒岳間で、ウサギギク                   水晶小屋黒岳間で、チシマギキョウ


 黒岳山頂に着いた、サブザックスタイルで女性のペースで歩いているので疲労感は全く感じない、それに三俣小屋からずっと山並の景色を堪能し続けている。ここから北を眺めると、赤牛岳の奥に剱岳と立山連峰がどっしり構えている姿は雄大だ、その向こうに日本海があるのだがそれは低い雲で見えない。南は今越えてきた鷲羽岳とワリモ岳、そして奥に槍・穂高の険しい峰が連なっている。黒岳もすばらしいところだ、北アルプスのど真ん中はどの山?と問われれば、今日の景色を見た人は黒岳と答えるだろう、青空が味方し、花が、周辺の山々が変化をつけて、光景を演出しているのだろう。余談だが、黒岳は国土地理院の25000分の1の地形図では水晶岳(黒岳)となっている、周辺から見た目だけで判断すれば黒岳が相応しいと私は思う。
  
      黒岳山頂より、赤牛岳、剱岳・立山               黒岳山頂より、槍・穂と鷲羽岳

  
水晶小屋・岩苔乗越間より、                        水晶小屋・岩苔乗越間より、黒部五郎岳
    手前左ワリモ岳、奥中央笠ガ岳 

 黒岳からはワリモ岳の乗越までは来た道を戻り、岩苔乗越から左に曲がって斜面を下り、黒部川源流を見ることにした。乗越から急坂を下ると7,8分で沢に出た、そこには黒部川源流と大きく赤いペンキで書かれた岩があった。矢印の方向に流れに沿って30mほど登ると大きな岩があって、岩の下からチョロチョロと水が湧き出ていた、その上方を見たがそこから上はもう水はなかった、ここが黒部川のはじまりである。透き通った一滴の水、集まって流れを作り、黒部川となって日本海へ注ぐ、その壮大なドラマのはじまりと考えると心が熱くなった。14:00、三俣山荘のテント場に戻った。
  
       黒部川源流、この岩の下から湧き出ていた

 3日目、今日も良い天気である。三俣山荘から三俣蓮華岳を巻いて、黒部五郎小舎へ行く道がある、山の地図には黒く一点鎖線で結ばれている、昨日入口から見た限りではキチンと整備されている感があったし、天気も心配ないので、近道をして黒部五郎岳に向かう。雲の平の向こうに薬師が朝日を浴びたて輝いていた。三俣蓮華岳からの道に合流し間もなく400m近くの急坂を下り、鞍部の黒部五郎小舎についた。テン場は木道で100m程南に進んだ、笠ガ岳を正面にし、下は笠ガ岳との谷間に急激に落ちるところだった。身軽になってカールへと進んだ、昨日鷲羽岳からカールを見たら爆裂噴火口のように見えたが、近くで見るとどういう形に見えるのか楽しみだった。北東から南西にかけて開口し、北は薬師岳から雲の平、赤牛岳、黒岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳への稜線まで、この間から見え、広々とした光景はここの特長でしょう。カールの中は花畑で、ちょっと遅い感じはしたが疲れを忘れさせる静かなところであった。山頂直下の最深部には雪渓があり、練乳をまぜて食べた味は格別であった。雪渓から100mほど急登し外壁に飛び出て、岩の上を渡りながら歩き間もなく山頂だった。

 この冒頭でふれたが、深田久弥の日本百名山完歩の一瞬がついに来た。同行の友たちによるセレモニーがはじまった、ストックのアーチをくぐり、山頂に立った、2m×1m強もあろうか、幕が張られた、“○○○○殿 日本百名山 完全踏破 黒部五郎岳にて 1999年8月19日”。山頂に居合わせた人達数人も加わってジュースで乾杯、記念品まで頂いて、感無量であった。思えば、1997年3月末に伊豆の天城山に7,8人で登り、温泉宿でのYさんの奥さんから投げかけられた一言だったような気がする。「百名山は・・・・」に対して「40くらいは登っている、興味はね・・・」、でそのシーズンはリハビリと称して毎週山歩きに出かけ、数えてみたら百名山の51座のところにあった。2000年1月1日を完登目標にしたが、順調に進んだことと、100番目にあてた大台ヶ原の深夜登山が情報がなく難しいので、計画変更し黒部五郎岳を仕上げとしたのである。100名山も深田久弥の足跡をそのまま辿ったわけではないが、それにしても周りの人達のから頂いた協力には感謝の気持ちでいっぱいだ、Yさんとは20座を、AさんNさん夫妻と歩いた北海道の山々、みな懐かしい。

 こんな感激を胸に、尾根筋を通ってテン場に戻り、4日目はどんより雲のたちこめる中をワサビ平小屋まで歩き、通りかかった車に便乗させてもらって新穂高温泉へ戻った、車に乗るや強烈な雨が降りだし、ここでもたいへん救われた山行であった。
  
      三俣蓮華岳の巻道から薬師岳                黒部五郎小舎テン場から笠ガ岳とその稜線

  
          黒部五郎岳カールの中                      カール最深部、頂上直下


      黒部五郎岳より鷲羽岳・黒岳方面



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